「今の若い者は」論

➣自分の過去を過大評価するから,年少者を過小評価する

先日かつての部下にあたるヒト(直接に指導したヒトを第1世代とすると第4世代あたりに指導されたヒト)と話をした折に,「今時の若者は......」と嘆いていました.
この時,エジプトの古代遺跡の粘土板に「今時の若者は.....」とあったという話とダブって大変に興味深く思った次第です.

このことからすると今の中学生が「今時の小学生は.....」と言っていると想像するのは難くないようです.

これってほとんどすべての場面で使えるフレーズです.
今時の年寄りは,今時の日本女性は,今時の看護師は,今時の政治家は.....
どのような状況でも使えるのは,むしろ当たり前のことでしょう,だって世の中は善きにつけ悪しきにつけ確かに変わっているのだから.

今,私は水道水をほとんど口にしません.抵抗感があるからですが,かつては公園の水飲み場で備え付けのチェーンで繋がれたアルミのコップで普通に飲んでいました.お水を買うなんて昔は考えられませんでした.
さらに,今では信じられませんが,外来の診察室に灰皿がかつてはありました.診療しながら喫煙する医師も.

これらの変化の多くは厳格化,純粋化してきて,本来なら些末とも思える(ヒトによりますが)要因を考慮する余裕が出てきたことの結果でしょうか.
というよりこれらの変化はきっと「過去を過大評価する者は,未来を過小評価する」だけの話で,重要なのは価値観が大きく変わったことなのでしょう.

かつては一生懸命働いてお金を稼いだり出世を目指すのが当たり前でしたが,現在ではお金はそこそこでも休みがしっかり確保できる方が良い,というヒトが増えてきました.
すなわち多様で変化する価値観,つまり価値を評価する座標軸が常に変化し,何よりも座標軸上の変数が複雑化してきています.

➣話せば分かりあえるかも.分かってもらえねば深追いしない

では,このような状況の中で,我々はどうのように生きていけばいいのでしょうか.
もしも仕事の中でどうすれば良いかと考えるならば,具体的に医療・介護の世界であれば「医療者側の価値観を押し付けずに,患者さんとそのご家族に満足して もらえる価値観を聴取し,また当方の立場を説明する.お互いが近づくよう実践する」のが解決策でありましょう.

お互いの座標軸をなるべく一致させることができれば,問題は少ないでしょうが,しかしながらヒトの意見は基本的にかわりません.
従って,コミュニケーションの最終目的は「お互いの立場を認めあう」ことです.当方の立場を十分に説明し,同時に相手側の価値観を十分に理解するだけである程度は問題解決ができます.
やっぱりコミュニケーションなのでしょう.
「話せば分かる」犬飼毅曰く

当たり前といえば当たり前のことですが,実際に実行することは難しくて,これが正しい,と押し付けていることはありませんか.
あるいはやりたくても時間と人手がないからできない,と言い訳していませんでしょうか.
どうであろうか,と反省するだけでも大きな進歩です.

そうは言っても現実,話し合いが中途半端にならざるをえないことも多々あります.
犬飼毅も「問答無用」と言われて殺されたようですし.
その場合にはこじれる前に第三者に相談する,場合によっては第三者に委ねる勇気,英断が必要です.

➣教訓:相互問題解決とは,解決策を捻り出すことではなく座標軸上の変数の違いに気付くことである

千田ちだ 金吾きんご 記)